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宮古島の水源を探訪してきました!

作成者: 宮国 靖|2020年02月03日

みなさんこんにちは。

宮古島オフィスの宮国です。

今回は宮古島の人たちが生活の糧としてきた貴重なガー(宮古の方言で井戸のことを「ガー」といいます)をいくつかピックアップして探訪してきましたので、紹介させていただきます。

わたしの地元である宮古島ですが、いままで歴史についてあまり知る機会がありませんでした。

特に川がない宮古島では、昔はどのようにして水源を利用してきたのか、気になったので調べてみました。

宮古島には山がないため川がありません。昔は井戸からの地下水を水源として直接汲み取り、生活してきたそうです。

そのため宮古島には昔使われていた井戸、井泉が史跡として各地に残っています。

1.盛加がー~むいかがー~

水道が整備される前の宮古島では、雨水や、島のあちこちにあるうりがー(洞井)の湧き水を生活用水としていました。

※洞窟の中の井戸という意味で洞井(どうい)とも呼ばれています。

盛加がーの近くには青磁器や土器の破片が見つかっていて、その昔、大きな集落があったことが分かっているのだそうです。

庶民が使ううりがーで、平良地区ではもっとも規模の大きなうりがーです。石段の数は130段、当時の人々が上り下りするのに踏みしめて、角のとれた石段となっています。

市街地の一角にある洞井です。住宅街の細い路地に突然現れる文化遺産スポット。入り口から下を覗き込むだけでも気を呑まれる気持ちになりました。

地上から地下へ、階段を下りて入ってみると幻想的な景色が広がっていて、外よりも若干温度が低く感じます。

石段を降りながら水源の手前で上を見上げると、岩の裂け目から陽の光が入るのが見えてとてもキレイでした。

足元に気をつけながら、底まで行くと、そこにはまだ澄んだ水が流れている水源がありました。

地上に戻ると現実に引き戻されて、いつもと変わらない住宅街が目の前に飛び込んできます。

盛加がーという水源を生活の中心に、人々が生活を形成してきたのだと感じました。

場所:〒906-0007 沖縄県宮古島市平良東仲宗根

2.大和井~やまとがー~

平良市街地の東北にある泉(洞井)、大和井(やまとがー・井戸)は国の史跡にも指定されている、宮古島の石造遺跡です。

井戸の壁は切り石を積み上げた立派なもので、井戸へ行き来する通路も石段でできています。役人が使うための井戸だったとされ、一般の人たちは使うことができなかったようです。

当時の石工技術の高さを見ることができる貴重な井戸です。

市街地から少し外れた、交差点の一角にぽつんとある史跡です。

ぱっと見た目は公園みたいな風景で、大和井戸へたどり着くまでの道のりも庭園のように整備されていました。

実際の大和井戸も光がたくさん入ってとても気持ち良く、広い階段や石畳、壁の石積みなど、景観としても素晴らしかったです。

身分の高い人だけが使用する水源とあるだけに、作りも細やかで、神殿のような美しさに歴史の深さを感じました。

■場所:沖縄県宮古島市平良字西仲宗根不在手・土川

3.アマ井~あまがー~

城辺地区でも歴史の古い集落、砂川と友利の境にある天然の洞窟井泉です。明和の大津波の以前にあった友利元島遺跡に隣り合う場所にあります。

地上から湧き水のある地点までの深さは20mほど。水量も豊かな自然洞窟井泉は、昭和40年に上水道が普及するまで、この地域の貴重な水資源となったようです。

今回紹介した3カ所の中では一番深い井泉です。

鍾乳石が垂れ下がるのを横目に、石積みされた手すりをつたって下へと下りていきます。

人ひとりが通るのがぎりぎりくらいの道幅で、一旦奥まで行ってもう一度折り返してから下りていきます。途中で底を見下ろすと、下までの深さが伺えます。

地底へ到着し、水源の手前には以前使われていたと思われるポンプや水槽の設備があり、いまは使われていないようでした。

奥の水源へ行ってみると、携帯のライトを照らしてもほぼなにも見えません。

カメラのフラッシュをたいてやっと周りの様子を知ることができましたが、そこには奥に広がる水源がありました。

こちらも澄んだ色をしていて、まだまだ奥まで続いていそうでしたが、さすがに入り込むことはできませんでした。

■場所:沖縄県宮古島市城辺字友利